甲田町に販売機を設置するまでになったふみちゃん家のたまご。これもまったく売れなかった時代から支えてくれたお客様のおかげだと感謝しかありません。

昔からのお客さんて本当にありがたい

「昔甲田町に販売機があったでしょ、その時からずっと買ってるよ」というお客さんがいらっしゃます。ほんとうにありがたいです。吉田に販売機ができた時からのお客さんも、小さいころからふみちゃんの卵しか食べてないから今高校生なんだけどよその卵を買うと美味しくないから買ってきてと言うと話して下さったり。社会人になって吉田を離れることになった子供さんが卵を送ってほしいと言うのよ、と話して下さったり。子供さんが大きくなってもずっと食べてくれるなんて。ふみちゃん家のたまごを支えてくださってありがとうございます!!あの人もあの人も、販売機で何回もお会いして、中には世羅町で開催されたせらマルシェにも来てくださったり。本当にうれしいです。

販売機設置の歴史

吉田町に販売機を置く前は甲田町に置いていました。両親の知り合いの方がされていた会社の土地でした。なので吉田町に移転する前からいうと20年くらい販売機でふみちゃん家のたまごを販売しています。今のところへ移転して今年で14年。いろんなことがありました。
甲田町に置いていたころ、だんだんとふみちゃん家のたまごを知ってくれる人が増えて販売が波に乗ってきたころやむなく移転しなくてはならないことになりました。設置していた土地の会社が倒産したので立ち退きを余儀なくされたのです。両親は同じ国道54号線でと親戚の紹介で現在の吉田町川本の地へ販売機を設置することができました。販売機という販売の仕方でしたので、お客様へは張り紙という方法で移転のお知らせをしました。しかし、甲田町から吉田町へ移転したことでお客様の足が遠のいたようでした。甲田町のお客様が来てくださると思っていたのですが、ゼロからのスタートに近いように感じました。そう、あの頃の売れ行きはどこへやら・・・。あの時に「移転しました」っていう折込入れたら違ってたかもしれないけど。。。卵を持って行ってもほとんど持って帰る日々が続きました。売れないということが恥ずかしかった。でもその頃の私は「販促」という言葉すら知らなかったし、勉強もしなかった。「うちの卵は美味しい!だから口コミで売れる」って考えたんですよ。今思えばアホです。

その頃の私は、養鶏がつまんなかったです。何を面白いと思ってやればいいのか、将来が不安でした。毎月1回JAの担当者他数名と「経営検討会」というのをしていたんですが、結局「今月の餌代が払えるか」ていうことしか話さない。私は餌代のためだけにやってんの?っていつもばかばかしかった。卵を生産するというのはとても大事なことです。けれど、返済のためだけの養鶏になっていてはなんの面白味もありません。餌代が払えるかどうか、というのはこれからもついて回る問題だけど、それだけのための仕事って全然楽しくない。それより私は小売りが少しずつでも伸びていってるほうが楽しかったです。けれど、そのあたりは抑えられてるから堂々と伸ばしようがなく。。。というのがここ3年前くらいまでの話。

まったく売れなくなった鳥インフルエンザ

少しずつでも売れてたんですが、全く売れなくなった出来事がありました。「鳥インフルエンザ」日本では72年ぶりで、私もまったく知識がありませんでした。テレビでも連日報道されていました。全国で卵が売れなくなりました。消費者の方が鳥インフルエンザを恐れるあまり、卵も鶏肉も食べなくなってしまったのです。たまごの価格も下がりました。販売機も急に売れなくなりました。日本の卵と鶏肉は安全なのに、食べても大丈夫なのに・・・。とにかくうちのお客さんだけでいいからこのことをお伝えしたいのに、どうしたらいいかわからない。。。いつもつまづく情報伝達の壁・・・鳥インフルエンザ終息まで耐えました。

どうやったら存在を知ってもらえるんだろう

吉田の販売機になってから5年くらい経っても完売の日が続くことがなく伸び悩んでいました。ある日、販売機の補充をしていたら女性がいらっしゃった。「あ、女性が補充されてるの?」と不思議そうに話しかけてこられた。「はい、卵の自動販売機なんですよ」と答えるとびっくりされて「え!ここ怪しいビデオの販売機じゃないの!?」

私「えーーーーーーー!!」

怪しいビデオの販売機だと思って今まで来なかったらしいのです。。。そう、ここは西日がすごく当たるので国道側から中が見えないように日陰を作ってあるのです。

2016-07-01 18.43.21

こんな感じ。現在は看板も建てて存在を分かるようにアピールできていますがそれまでは目立たなく、それこそ「口コミ」なんていう不確かなものでちょっとずつ伸びていっている感じでした。どうやったらここがたまごの販売機だと気が付いてもらえるんだろう?ってそればっかり考えてました。HPはいろんな事情で作ることができないし。そんな感じでまた数年経っていきました。

JAから半ば強引に抜けて違うところと契約して、しっかり小売りができるようになりました。そして、伸び悩む中、新歩一さんからエクスマ藤村正宏先生のことを教えてもらったのです。新歩一さんは毎月ニュースレターを発行されてて、なんとかお客さんとの懸け橋にと初めて見ました。それからの私は、短パン社長奥ノ谷圭祐さんの発信をフェイスブックで見て衝撃を受け、エクスマセミナーにも行って、沖縄の合宿にも参加して少しずつだけど発信できるようになりました。発信すること、ブログを書くことの大切さ(続けることの大切さ)。とりあえずフェイスブックで発信することを始めました。ニュースレターや販売機にブログを始めたこと、フェイスブックページがあることをお知らせしました。ふみちゃん家のたまごのフェイスブックページは、最初誰も見ていませんでした。イイね!が3人とかそんなんでした。何度もやめようと思いました。ブログも。けど始めて何か月か経った日に、販売機で補充していると「フェイスブックみとるよ」とか「ブログ読んでるよ」という人が現れてすごくうれしかったです。ふみちゃん家のたまごは『河内裕美』という人がやっているということが少しずつ認識されはじめ、販売機もよく売れるようになってきました。「何年同じ場所で営業していても、どんなにいい商品でもどんな人が売っているものかわからないものは誰も買わない。」それを実感する日々でした。

看板ができて

もう一伸びすることができたのは看板ができたことでした。「結局目立てば売れる」というわけではありません。看板ができた日、その翌日は「ふみちゃん家のたまご」がとてもよく検索されていました。検索して出てくるのはうちのHPです。HPにはブログがあります。時々止まりながらでも更新してきたブログ。検索された人はブログを見て、フェイスブックを見て卵を買いに来てくれたんだと思います。数年前までは、年配のお客さんばかりで、失礼な話ですが「この人たちが亡くなったら、お客さんおらんなってしまうんじゃないか」ていうくらい多かったのです。でも今は若いお客さんが多くなってきました。ブログを観ました、フェイスブックを見ています、と言って買いに来てくださいます。検索しても何も出てこなかったら、購入には繋がらなかった。私がやってきたこの何年かは無駄じゃないんだってうれしくなりました。

まとめ

14年経ってまた甲田町に設置できることになり、やはりこの街にはご縁があるなと感じます。わざわざ吉田町まで買いに来てくださっていたお客様、やっと近くにふみちゃん家のたまごが来ることができました。どうぞよろしくお願いします。

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hiromi

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菅藤裕美(すがとうひろみ)です(有)菅藤養鶏場で生産管理、配達などしております。reggae大好き☆猫ちゃんも大好き☆海外ドラマ大好きで構成されています。趣味はフラメンコです